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京都地方裁判所 平成6年(行ウ)10号 判決 1997年8月22日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

小山千蔭

被告

京都上労働基準監督署長西山正夫

右訴訟代理人弁護士

上原健嗣

右指定代理人

山崎敬二

奥田一

廣岡繁信

戸根義道

栗原潔

梅垣正明

森峯子

小林定

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し平成元年二月一四日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が被告に対し、被告がした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  当事者等

甲野太郎(以下「太郎」という。)は昭和二二年一二月五日に生まれ、昭和五一年三月一九日に明星自動車株式会社(以下「会社」という。)にタクシー乗務員として入社し、昭和六一年一〇月から会社の営業課営業係長として勤務していた。そして、太郎は昭和六三年二月二三日午後一一時五五分に脳内出血(以下「本件発症」という。)により死亡した。太郎はかねてから高血圧症を患っていて、会社における健康診断の際の血圧は別紙<略>健康診断結果の血圧測定結果欄記載のとおりであった。

原告は太郎の妻である。

2  太郎の職務内容

太郎は本件発症の当時、道路運送法二三条に定める運行管理者としてタクシー乗務員(約六〇名)の出退勤の管理、営業車の入庫時における車両の整理、勤務ダイヤの作成(タイムレコーダーの記録及びタコグラフの記録を含む。)、事故・故障車の救援・現場処理、乗務員の業務指導(旅客自動車運送事業等運輸規則四八条)及び顧客からの電話等による配車注文の受付等を担当していた。太郎はこれらの業務を一週間毎に昼夜を交代して勤務していた。夜勤のときは週のうち四日間は係長二名と係長を補佐する配車係一名の計三名が、残り二日間は係長一名と配車係一名の計二名が勤務していた。所定休日は週一日であった。

3  本件発症前一年の勤務状況

太郎の本件発症前一年の勤務状況は別紙<略>一年の勤務状況記載のとおりであった。

4  本件発症前一週間の勤務状況

(一) 二月八日

太郎は午前六時二〇分に出勤して通常勤務に就き、午後五時に退勤した。

(二) 二月九日

太郎は午前六時一五分に出勤して通常勤務に就き、午後五時に退勤した。

(三) 二月一〇日

太郎は午前六時二五分に出勤して午前中は通常勤務に就き、午後から労働基準法講習会に参加し午後五時から翌日午前三時まで街頭指導をした。

(四) 二月一一日

太郎は午前三時に退勤し、その後は休暇を取った。

(五) 二月一二日

太郎は風邪のため欠勤した。

(六) 二月一三日

太郎は午後三時四五分に出勤して翌日まで通常業務に就いた。

(七) 二月一四日

太郎は午後四時に出勤して配車係一名との計二名で翌日まで通常勤務に就いた(退勤時刻は争いがある。)。

5  本件発症当日の勤務状況等

太郎は、昭和六三年二月一五日午後三時二五分ころに出勤し、午後四時過ぎから会社の会議室で開催された営業第四係所属乗務員を対象とする定例研修会(以下「本件研修会」という。)に講師として出席し、関係業務及び運行体制の変更の説明をしていたところ、午後四時一〇分ころに言葉が不明瞭になって椅子に座ったまま倒れ、会社産業医である青木康医師(以下「青木医師」という。)の診察を受けた後、救急車で根本病院に搬送された。それから、太郎は根本病院で治療を受けていたが、同月二三日に脳内出血により死亡した。

6  本件処分等

原告は昭和六三年六月一日に被告に対して太郎が業務上死亡したと主張して労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給をするよう請求した。これに対して被告は平成元年二月一四日付けで太郎の死亡は業務上によるものとは認められないとして保険給付をしない旨の処分をした。そこで、原告は同年四月一〇日に京都労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、平成二年一〇月二日付けで棄却の決定を受けた。さらに、原告は同年一一月二五日に労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、平成五年一二月二四日付けで棄却の裁決を受けた。

二  主な争点(業務起因性の有無)

1  原告の主張

(一) 事実の経過

(1) 太郎の勤務歴

太郎は入社以来労働組合員として活発に活動し、昭和五七年一〇月から三年間労働組合の専従書記長をしていた。ところが、太郎は昭和六一年一〇月に営業係長に登用され、管理職として強力なリーダーシップを発揮するようになったことから、労働組合員から裏切り者呼ばわりされ、一部労働組合員との間で軋轢が生じていた。

また、会社における係長の職務は一週間連続の夜勤があるなど時間が不規則で、休憩を取る暇もない程忙しくて勤務時間も長く、一般従業員や他の管理職と比べて過酷であり、肉体的疲労と精神的負担が大きかった。

(2) 太郎の基礎疾患等

太郎は若年性高血圧症であったが、減塩食事を摂るなど健康管理に十分注意を払ってきたものであり、昭和五八年までは他に病気や異常な検査結果はなく、その後、一時的に血圧以外の検査結果数値が標準を超えたことがあり、検査の際、高脂血症、糖尿病、左室肥大、心筋虚血、冠動脈硬化症等が指摘されたことはあるが、いずれも短期的なものか、脳出血と結びつかないもので、動脈の硬化等、病気の段階に至るものはなかった。そして、太郎は若く、血管の弾力性が十分にあり、血管壁も強固であった。

(3) 本件発症までの一週間の勤務状況

太郎は昭和六三年二月八日から通常の業務に加え、本件研修会の準備のために夜遅くまで資料作りをしていた。太郎は同月一一日、翌一二日は風邪のため自宅で寝ており、同日午後三時ころには体温が三九度四分あったので、青木医師から薬をもらい、同月一三日午後二時ころまで寝続け、薬を服用して午後三時ころ自宅を出て出勤した。すると、大森繁係長は太郎の顔色が悪いのを見て夜勤の交代を申し出たが、太郎はこれを断って夜勤に就き、翌一四日午前五時ころ退勤した。太郎は同日の夜勤は太郎以外の係長が急病のため欠勤したため休暇を取れず、午後三時ころ起床して出勤した。その日の作業量は係長が二人いるときと比べて二倍であったうえ、太郎は二〇度以上の温度差がある屋内外の出入りを二、三十分おきに繰り返して車両整理をした。そして、太郎は翌一五日午前五時一五分ころ退勤した。

太郎は、昭和六三年二月一五日午前六時三〇分ころ就寝し、本件研修会の講師を他の者と替わることができなかったので、休暇を取ることができず、午後二時ころ起床して午後三時二五分に出勤した。

太郎は、本件研修会において、労働組合幹部が立ち会う中で労働組合員に対し、会社の立場から初めて労働条件引き下げに関する二車三人制の趣旨説明をする立場にあり、労働組合の批判の対象になっていた。

(二) 高血圧等の基礎疾患がある場合の業務起因性の有無の判断基準

(1) 基本的な立場

労働者災害補償保険制度は、業務上の被災労働者に十分かつ必要な療養の機会を保障して職場又は社会復帰を図るとともに本人及びその遺族が「人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき」最低労働条件を確保するために法定補償をすることを目的とする。

また、同補償保険制度は、個々たる事業者が被災労働者に対し補償を行うのではなく、集団としての使用者が連帯責任者としてこれを行うものと考えるべきである。

労働基準法施行規則三五条別表第一の二・九号に「その業務に起因することの明らかな疾病」が規定され、非災害性の疾病を包括的に補償対象とする旨定められたことからして、この規定の解釈を限定的にすることは相当ではなく、作業環境及び従事期間等を総合判断して、労働者が当該業務に従事したため当該疾病に罹患したことが推定されれば、使用者が業務に起因しないことを立証しない限り業務上発症したものとすべきである。

(2) 脳又は心臓疾患の場合の判断基準

脳又は心臓疾患が業務上の諸種の要因によって発症したと(ママ)が認められるならば、「その業務に起因することの明らかな疾病」として扱うべきである。この場合、業務は唯一の原因でなくともよく、被災労働者の基礎疾病等が原因(主因)となっても、業務が基礎疾病等を誘発又は増悪させて発症の時期を早めるなど、基礎疾病等と共働原因(誘因)となって発症等の結果を招いたと認められるときは業務上発症したとすべきである。

そこで、被災労働者が発症等の前に過重な精神的、肉体的負荷を生じさせうる量的、質的に過重な業務に従事していたか、事業者が被災労働者の発症又は増悪後適切な救済措置を講じなかったため、増悪又は死亡の結果が生じたときは、当該被災労働者の発症等と発症前の業務との間に相当因果関係が認められる限り、業務上の発症があったというべきである。

(三) 結論

(1) 太郎は本件発症の一週間前から本件研修会の資料作りを夜遅くまでし、夜勤に入ってからは午前五時過ぎまで十三、四時間勤務し、五日前に引いた風邪のため安静にすべきであったのにこれができなかったほか、特に本件発症当日の前日は一人で二〇度以上の温度差がある屋内外の出入りを二、三十分おきに繰り返して車両整理をするなどしたものであり、本件発症前一週間の太郎の勤務は平常よりも過重なものであったこと、かねて太郎は労働組合と軋轢があったうえに、労働組合幹部が立ち会う本件研修会で会社の立場から初めて二車三人制の趣旨説明をすることになって、大きな精神的負担があったことなどが直接の引き金となって本件発症をもたらしたものである。

(2) したがって、本件発症は過重な業務に就労したことによる肉体的疲労及び精神的負担と高血圧症とが共働原因となって生じたから、原告の見解によれば業務起因性があることが明らかである。

また、被告の主張する「新旧認定基準」(<証拠略>)によっても、本件発症前の一週間における深夜勤務は、室内と戸外との急激な温度差の下での業務を行うものであったから、「異常な出来事」にあたるし、またその間時間外労働の連続の後本件研修会を予定していたから「日常業務に比較して特に過重な業務」に就いたともいうことができ、本件発症は業務起因性がある。

(3) さらに、太郎は本件発症前に休養を取る必要があったにもかかわらず、前日において係長としての一人勤務を余儀なくされ、当日においては本件研修会における説明担当者として他者に代替できない客観的な状況のもとで勤務を続けた結果本件発症に見舞われた。すなわち、太郎が従事していた業務に起因する危険性が顕在化したことによって本件発症があったとも見られ、最高裁の見解(平成八年一月二三日判決、同年三月五日判決)によっても業務起因性が肯定される。

2  被告の主張

(一) 事実の経過

(1) 本件発症前一年間における太郎の勤務状況

太郎は昭和六二年一月から昭和六三年一月までの間、毎月四、五日の公休のほか、有給休暇も取っていて、格別過重な勤務状況にはなかった。

(2) 太郎の基礎疾患等

太郎は薬物療法を用いるのが相当な程度重篤な若年性高血圧症にあって、高血圧症の継続によって昭和五一年以後昭和五九年までに心肥大、高脂血症、糖尿病、左室肥大、心筋虚血、冠動脈硬化症等の動脈硬化の進行を示す症状が現れていたにもかかわらず、薬物療法を行わず、本件発症に至った。

(3) 本件発症までの一週間の勤務状況

本件発症前一週間の太郎の勤務は通常のものと変わらず、太郎の健康状態も良好であった。本件発症の前日の勤務では係長が太郎しかいなかったが、係長が一人という体制は従来から週二日は取られていたから、特別なものではなかった。

会社における研修会は約二か月に一回業務係毎に開催され、係長が乗務員に運行に伴う注意事項、営業状況を報告、説明するものであるが、本件研修会において太郎が行うことになっていた連行体制の変更案(二車三人制)はそれまでに会社から労働組合に説明がされていたものであり、同案について労働組合と会社との間で調整困難な事態に陥っていたことや太郎の説明中に混乱が生じたことはなく、また、研修会の講師を務めることは太郎にとって初めてのことではなかった。

(二) 高血圧等の基礎疾患がある場合の業務起因性の有無の判断基準

(1) 基本的な立場

労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づいて遺族補償給付及び葬祭料の支給をするには当該労働者が「業務上死亡した」こと(労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条)、すなわち、「業務上負傷し又は疾病にかかった」こと及び当該「負傷又は疾病」により死亡したことを要する。そのためには「負傷又は疾病」が労働者の業務遂行中に業務に起因して発生したことを要する。

そして、労災保険法一二条の八第二項は労働基準法に規定する災害補償の事由が生じた場合に保険給付を行うと定め、労働基準法七五条二項は「業務上の疾病・・の範囲は命令で定める。」と規定し、これを受けて労働基準法施行規則三五条別表第一の二の定めがある。

同別表第一の二、九号は「その他業務に起因することの明らかな疾病」を労働基準法七五条二項の「業務上の疾病」の一つとして掲げるが、これは同別表第一の二、一号から八号と異なり、個々的に業務と疾病との関連性が医学上の経験則によって解明されなければならず、その主張立証責任は原告にある。

(2) 脳血管疾患の場合の判断基準

特に、負傷に起因しない脳血管疾患は、特定であれ一般的であれ業務がその発症・形成の原因となるものではないから、労働者が基礎疾患として持つ血管病変等が業務上の諸種の要因によって、かつそれが他の原因と比較して相対的に有力な原因となって急激な血圧変動や血管収縮を引き起し、その自然的経過を超えて急激に著しく増悪し、その結果引き起こしたと医学的に認められるもの(脳血管疾患)に限って「業務に起因する明らかな疾病」にあたるにすぎない。

そして、右の見解を基本とする昭和六二年一〇月二六日付の「脳血管疾患及び虚血性心疾患の認定基準について」との労働省労働基準局長の通達に従って被告は太郎の死亡の原因となった疾病について業務起因性の有無の判断を行ったものである。

ところで、右の通達のうち「業務に起因することの明らかなもの」についての認定基準は平成七年二月一日付の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」をもって改正された。後者の基準も前者の基準の基本的な考えを踏襲しており、業務の過重性、発症前の一週間より前の業務、日常業務と質的に著しく異なる業務の各評価等について改めた点があるにすぎない。

(三) 結論

(1) 太郎は本件発症前日には配車係一人との勤務を行ったが、同勤務形態は一週間に二度実施されていたものであるし、同日には交通事故などの特記すべき業務もなかったし、気温が特に低い日でもなかったこと、本件研修会における運行体制の変更案の説明も、それまでに会社から労働組合に申し入れられており、また労働組合と会社間で調整困難な事態はなく、太郎の説明中に混乱が起きたこともなかったから、太郎が本件発症の原因となるほどの精神的緊張状態に陥っていたとは考えられない。

(2) 太郎が若年時から継続してかなり重篤な高血圧症にあったうえ、昭和五〇年代終わりころからは動脈硬化の兆候が現れたにもかかわらず、格別な治療を受けないまま推移したため、さらに動脈硬化が自然進行したことにより血管の破綻を来して本件発症を見たものである。

(3) 右のほか、太郎が従事していた係長業務の内容等を比較的長期的に見ても、同人にとっても他の同僚からしても特に過重なものはなかったし、通常のものと異なって負担の大きいものであったこともないから、これが他の原因と比較して相対的に有力な原因となって本件発症を招いたとは考えられない。

第三争点に対する判断

一  経過事実の認定

証拠(<証拠・人証略>、原告)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  太郎は昭和二二年一二月五日に京都市左京区内で生まれ、中学校で学業を終えて職に就き、昭和四七年に原告(昭和一六年一〇月三一日生まれ)と婚姻し、昭和四九年に長男を得、昭和五〇年ころ生命保険会社との間で生命保険契約を結ぼうとして健康診断を受けたところ、血圧が高いとして通常の生命保険契約を結ぶことはできないと言われ、これを断念したことがあった。そのことがあって原告は太郎が高血圧症であることを知り、また太郎の実母が高血圧症、腎臓病等でもあったことから、家庭内では塩分の少ない食事を作るよう心掛けてきた。

2  太郎は昭和五一年三月一九日にタクシー乗務員として会社に採用されそのころから昼夜勤を交替しつつ乗務業務を続け、日勤のときは午前六時ころ出勤して午後三時ころ帰宅し、夜勤のときは午前三時三〇分ころ出勤して翌午前三時ころ帰宅するのが例であった。他方、太郎は入社以来労働組合員として活発に活動し、昭和五六年一〇月から二年間労働組合の副委員長、昭和五八年一〇月から二年間労働組合の書記長をし、その間の昭和五七年一〇月から昭和六〇年一〇月までは組合業務に専従した。

3  ところが、太郎がそのころまでに会社で受けた健康診断の結果は別紙健康診断結果の血圧測定結果欄記載のとおりであった。

会社の産業医であった青木医師は昭和五一年七月八日に初めて太郎を診察し、その際の検査結果から太郎が若年性高血圧症であるとの疑いを持ったので、太郎に大病院での再検査を何回も勧めたが、太郎は高血圧症の自覚がなく再検査を受けなかった。そこで、青木はせめて血液と尿の検査を受けるように熱心に勧めたが、太郎はこれを受けず受検しなかった。ただ、太郎は青木の勧めに従って心電図の検査だけは受けたが、異常な結果は見られなかった。なお、青木は薬物療法については否定的な考えを持っていたので、太郎に薬物の服用は勧めなかった。

その後、太郎は昭和五二年二月一四日には心電図の他に血液と尿の検査も受けたが、異常な結果は見られなかった。

しかし、太郎は昭和五九年七月一二日には左心室肥大、同年一二月一三日には心筋虚血、冠動脈硬化症状のように高血圧症を原因とする動脈硬化の傾向を見るようになり、昭和六〇年七月一八日には左心室肥大、高脂血症、肝機能障害等の症状も見られるようになった。そこで、青木はこのころから太郎に減塩・節酒等の食事・生活指導を始めたが、太郎は医者、薬を忌避し、その後の健康診断では心電図の検査を受けなくなったり、一日にたばこを約二〇本は吸い、ビールを大瓶で二本は飲むようなこともあった。

4  太郎は昭和六〇年一〇月の組合大会における役員選挙で敗れ、組合役員の地位を去って従来のタクシー乗務員の勤務生活に戻った後、昭和六一年一〇月に営業係長に登用され、前記争いのない事実2に摘示した職務のほか、毎月一回開催する研修会での説明等を担当し、会社の他の四人の係長とは別に、ワープロ業務を含む仕事も担当した。なお、他の係長もそれぞれ自分だけの業務を担当しており、太郎が特に仕事量が多いということはなかった。

太郎は所定休日一日を挟んで一週間毎に昼夜を交代してこれらの業務に就き、勤務時間は日勤のときが午前六時ころから午後五時ころまでで、夜勤のときが午後三時ころから午前四時ころまでであった。夜勤のときは週のうち四日間は係長二名と係長を補佐する配車係一名の計三名が、残り二日間は係長一名と配車係一名の計二名が勤務していた。

車両整理は三〇分おきに事務所から出て乗務員が洗車した営業車を順次車庫に入れるものであった。また、街頭指導は営業運転をしながら、タクシー乗務員が名札、乗務員証を掛けているか、交通法規を遵守しているかを見回るものであった。

太郎は、営業係長に登用されて以降、会社側に立ってリーダーシップを発揮するようになったことから、一部の労働組合員から裏切り者呼ばわりされていた。しかし、会社の係長は従来から労働組合員から登用されており、太郎は労働組合員との関係を気にせず、仕事に励んでいた。

5  その間の会社における太郎の健康診断の結果は前記血圧測定結果欄記載のとおりであり、昭和六〇年一二月には血圧は血管の収縮期が一八〇(mmHg)(以下単位の表示を省略する。)で、拡張期が一一〇と従前と比較するとやや持ち直し、昭和六一年一二月一八日には収縮期が一七五で、拡張期が九五と改善されたかのようであったが、昭和六二年七月一七日には収縮期が一九〇で、拡張期が一〇〇、昭和六二年一二月一一日には収縮期が二〇〇で、拡張期が一一五と昭和五九年ころの水準に戻ってしまった。

6  太郎が本件発症をするに至る前一週間の状況は次のとおりであった。

(一) 二月八日

太郎は午前六時二〇分に出勤して通常勤務に就き、午後五時に退勤した。太郎はこのころから本件発症当日の前日まで暇があれば本件研修会で使用するレジュメを作成するようになった。

(二) 二月九日

太郎は午前六時一五分に出勤して通常勤務に就き、午後五時に退勤した。

(三) 二月一〇日

太郎は午前六時二五分に出勤して午前中は通常勤務に就き、午後から労働基準法講習会に参加して午後五時から翌日まで街頭指導をしたが、その間発熱があった。

(四) 二月一一日

太郎は午前三時に退勤し、その後は休暇を取ったが、自宅で原告に発熱及び疲労を訴えほぼ一日就眠した。

(五) 二月一二日

太郎は朝三九度を超える発熱があって会社を休んだが、自らは医師の診断を受けなかったため、原告が青木医師のもとに赴き風邪薬をもらって太郎に服用させたが、体温は三八度以下には下がらなかった。

(六) 二月一三日

太郎は体温が前日とさほど変化はなかったが、風邪薬を飲んで午後三時四五分に出勤したところ、大森係長が太郎の顔色が悪いのを見て夜勤の交代を申し出たが、太郎はこれを断って翌日まで通常業務に就いた。この間の最低気温は摂氏〇・三度であった。

(七) 二月一四日

太郎は午前四時五五分に退勤した。そして、午後四時に出勤して翌日まで通常勤務に就いた。この間の最低気温は摂氏〇・四度で、太郎と配車係一名の計二名で勤務した。

7  太郎は昭和六三年二月一五日午前五時一五分に退勤し、午後三時二五分ころに出勤し、午後四時過ぎから本件研修会に講師として出席し、関係業務及び運行体制の変更の説明をしていた。そして、太郎は午後四時一〇分ころに言葉が不明瞭になって椅子に座ったまま倒れ、青木医師の診察を受けた後(その際の太郎の血圧は血管縮小期で一九〇、拡張期で一〇〇であった。)、救急車で根本病院に搬送された。それから、太郎は根本病院で治療を受けていたが、同月二三日に脳内出血により死亡した。

ところで、太郎が本件研修会で説明を行う予定であった会社における運行体制については、会社が昭和六二年一〇月一二日に二車三人制の実施を労働組合に申し入れ、昭和六三年二月一三日から労働組合と交渉を始めていた。そこで、労働組合は本件研修会での二車三人制の説明に関心を寄せており、本件研修会には労働組合幹部が全員出席していた。しかし、係長にすぎない太郎が本件研修会で二車三人制の具体的な中身を触れる予定もなかったし、他の係長が講師を務めた同様の研修会でも乗務員等から特に質問は出なかった。

以上の事実が認められる。

二  医学上の知見の認定

証拠(<証拠略>)によれば、高血圧を原因とする脳内出血の機序は持続的な高血圧症により血管壁透過性が亢進し、血漿の動脈壁浸潤から血管壁壊死に至り、小動脈瘤を形成して血管の破綻をきたし、出血に至るとするのが医学上一般的な考え方であること、また、高血圧症や高脂血症は一般的に動脈硬化を促進し、喫煙や持続的な多量の飲酒は血圧を上昇させ、喫煙は動脈硬化も促進していずれも脳内出血の原因となりうること、精神的負担や温度差の激しい場所の出入りは血圧を上昇させ脳内出血を誘発することがあること、以上の事実が認められる。

三  基礎疾患がある場合の業務起因性の判断基準

1  高血圧症等を持病(基礎疾患)とする労働者がその業務の遂行中に脳出血の発症を見て死亡するに至った本件におけるような場合にその発症(疾病)が労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七五条、七九条に定める「業務上」のものに該当するというためには、当該労働者が従事していた業務が右発症(疾病)の他の原因と比較して相対的に有力な原因として持病(基礎疾患)を自然的増悪の程度を超えて増悪させ、その結果脳出血の発症(疾病)を招いたことを要するというべきであり、その旨の事実を労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求する原告が主張立証するべきである。

2  この点について、原告は労働者の従事していた業務が共働原因となって基礎疾患を増悪等させその結果脳出血等を発症させれば足りるなどと主張する。

しかし、一般的に高血圧症等の基礎疾患の発症が各種業務との関連があるとの医学上の知見があるとは認められず、本件においても前叙のとおり太郎の高血圧症の発症は会社の業務によるものではないことが明らかであるし、一般に労働者の従事する業務が一定の目的に向かって整序された人間の行為の連続であることから、多かれ少なかれ精神的な緊張を伴うものであることは避けられず、前掲の各証拠により窺える高血圧症の特質等にかんがみると、相当の期間にわたって観察するときは、ほとんどすべての業務が程度の差はあれ精神的な緊張をもたらし、血圧の変動に関わりを持つに至ることが推認されるのである(そのため、原告の主張するように脳出血の発症が業務によるものではないとの立証を被告が行うことは不可能に近いであろう。)。したがって、原告の主張するような見解に従うと、ほとんどの業務が基礎疾患とあいまって脳出血を招来させると見るほかなくなることが予測され、「業務上」との要件の意味が失われるに至るであろう。

以上のほか、労働基準法七五条二項を受けた労働基準法施行規則三五条別表第一の二、一号から八号と同九号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」との均衡からしても、労災保険制度が使用者の負担において運営される点などからしても、原告の主張は採用することができない。

四  具体的な認定判断

1  原告は、太郎が若年性の高血圧症のほかは、死亡にいたるまで動脈硬化の症状もほとんど見られず、その血管は弾力性に富み、血管壁も強固であったとし、会社において従事した業務による精神的な緊張が太郎の脳血管の破綻をもたらして本件発症を招来させたと主張したうえで、太郎が係長職に就いて以来、業務によるいくつかの精神的な緊張・負担を受け続けてきたと主張する。

(一) 原告の右主張は一義的に理解することが困難な点があるが、仮に原告の主張する業務による精神的な緊張・負担が高血圧症を増悪させたとの趣旨としても、この事実を認めるに足りる証拠はない。

すなわち、会社における血圧測定結果は年間二度程度の簡易な検査結果ではあるが、太郎が労働組合の業務に専従していた間の昭和五九年七月から昭和六〇年七月にかけて太郎の血圧は血管の収縮期で一九〇から二一〇、拡張期でも一一〇から一二〇の値を見るにまで悪化していたものの、その後一乗務員を経て係長職に就いた昭和六一年一二月にはこれが改善されたかに見える程度になったことは前記認定のとおりである。

さらに、短期的には原告の主張する業務による精神的な緊張・負担と時期を対応する血圧等の検査結果等がないし、本件発症直後の太郎の血圧が血管の収縮期で一九〇、拡張期で一〇〇であって、その前の検査時の数値をそれぞれ一〇から一五下回っていることからしても、原告の主張事実を認めるには足りない。

原告は、特に本件研修会において運行体制の変更案を説明する業務が太郎に大きな精神的な負荷を与えていたと主張するが、前叙のとおり、太郎は係長になってからは毎月一回開催される研修会に毎回出席しており、本件研修会で説明予定のタクシー運行体制の変更案はその時までに会社から労働組合に周知済のものであったことが認められるから、組合業務の専従者だった太郎がその程度の説明を負担に感じていたとは窺えないし、本件発症後の太郎の血圧値からしてもその当時普段より血圧が上昇したとも認められない。

(二) また、業務による精神的な緊張・負担が脳血管の破綻をもたらしたとの趣旨としても、原告が主張する労働組合との軋轢、係長としての職務の繁忙、温度差のある夜間勤務条件、本件研修会の説明等によるもののいずれもがいわば蓄積して本件発症当日に脳血管の破綻をもたらしたというのか、近接する事由によるもののみを原因とするのかを別としても、各事由のあった時期に対応する検査結果等が前記血圧測定結果のほかは存在しないことからも、そのような緊張等がどのような機序で太郎の脳血管の破綻をもたらしたのかが証拠上は不明である。

(三) そうすると、原告の主張する業務上の諸事由が太郎の本件発症にどのような影響を与えたか、その兆候すら証拠上は不明であるというほかなく、原告の主張は採用の限りではない。

2  また、原告は、太郎が本件発症前に休養を取る必要があったにもかかわらず、前日において係長としての一人勤務を余儀なくされ、当日においては本件研修会における説明担当者として他者に代替できない客観的な状況のもとで勤務を続けた結果本件発症に見舞われたから、太郎が従事していた業務に起因する危険性が顕在化したことによって本件発症があったと見て業務起因性を肯定するべきであるとも主張する。

しかし、太郎は本件発症の前日までに医師の治療等を受け、また休養を取らなければ死亡に至りかねない程の重篤な疾患が発現していたと認めるに足りる証拠はないから、太郎が業務を継続したことを業務に起因する危険性が顕在化したとみることはできない。

のみならず、前記認定の事実並びに前掲各証拠によれば、太郎は昭和六三年二月一〇日に発熱を見た後、同月一一日は休暇で自宅で休養し、翌一二日には風邪のため欠勤し、発熱が続いたのに医師の診察等を受けず、原告がもらってきた薬を服用したにすぎず、同月一三日には心配した大森係長から勤務を交替しようとの申し出を受けたのにこれを拒否して勤務を続けたことが認められ、これらのほか、太郎自身は医師嫌いでもあったことから医師の診断を受ける意思のなかったことが推認されるのである。してみると、太郎が会社の業務によって医師による診察等を受けたり、休養する機会を失ったなどとは到底認め難いところである。

3  以上の説示を踏まえ、特に太郎の高血圧症の発症時期、死亡時に至るまでの期間、その間の血圧数値の推移、心肥大、高脂血症、心筋虚血、冠動脈硬化症等の発現及びその時期(昭和六〇年一二月以降も左室肥大が継続したことが推認される。)、昭和五九年ころから血圧が血管の収縮期に二〇〇前後に達し、拡張期に一一〇前後であったにもかかわらず、薬物治療も施さず自然の進行に委ねたことなどにかんがみると、太郎は長期間継続した高血圧症によって動脈硬化の進行を見てこれが原因となって脳血管の破綻が招来され、本件発症に至ったものと認めるほかなく、太郎が従事していた業務によって基礎疾患である高血圧症が自然的な進行進度を超えて顕著に増悪したとも認められないし、当該業務が他の原因と比較して相対的に有力な原因となって本件発症を見たとも認められない。

第四結論

以上の次第で、本件発症は業務上の疾病とは認められないから、原告の本件請求は理由がなく失当として棄却する。

(裁判長裁判官 大出晃之 裁判官 磯貝祐一 裁判官 平野双葉)

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